こんにちは!
トレーナー育成講師の井上裕司です。
夜、静かな寝室にほのかに漂うラベンダーの香り。
その香りは、心を穏やかにし、深い眠りへといざなう――
そう信じて私たちは、アロマを枕元に置き、疲れを癒そうとします。
けれど、あなたは知っていましたか?
そのラベンダーの香りが、「眠っている間にホルモンを動かし、翌朝の目覚めまで変えている」かもしれないということを。
目覚めの爽快感や、一日の始まりの“すっきり感”には、
「コルチゾール」というホルモンが密接に関わっています。
ストレスの象徴のように語られるこの物質は、実は私たちを“活動モード”へ導く鍵でもあるのです。
ある大学の研究チームは、
「睡眠中に香りを呈示する」という独自の実験を通じて、
ラベンダーの香りがこのコルチゾールの分泌に与える影響を初めて明らかにしました。
その結果は、私たちの“眠りと目覚め”の常識を静かに覆すものでした。
香りが、脳とホルモンをつなぎ、休息から覚醒へと導く――。
科学が解き明かす「香りとコルチゾールの新しい関係」を、今、ひもといてみましょう。

■ 「癒しの香り」が持つ、もう一つの顔
「ラベンダー」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは“リラックスの香り”です。
枕元に置くポプリ、アロマキャンドル、バスソルト――。
その柔らかな香りには、心を落ち着かせ、眠りを誘うような印象があります。
しかし、近年の研究では、ラベンダーがもたらす効果は「眠り」だけでは終わらないことが分かってきました。
実は、“朝の目覚め”にも重要な影響を与えるのです。
2014年に発表された共同研究では、
「就寝中にラベンダーの香りを嗅ぐと、起床直後の唾液中コルチゾール分泌量が増加する」
という興味深い結果を報告しました。
「ラベンダーでリラックスするとストレスホルモンが下がる」と思いがちですが、
実は、朝に一時的にコルチゾールが上がることこそ、健康な覚醒のサイン。
この研究は、「香りが睡眠から覚醒への生理的移行を助ける」という新しい視点を提示しています。
■ コルチゾールとは? ― “悪者”ではないストレスホルモン
コルチゾール(Cortisol)は、副腎皮質から分泌されるステロイドホルモンの一種です。
一般的には「ストレスホルモン」と呼ばれ、ストレスや不安によって上昇することで知られています。
しかし、実際のコルチゾールは単なるストレス反応物質ではなく、
体内のリズムを維持するために欠かせないホルモンです。
🧠 コルチゾールの主な役割
- 血糖値を上昇させ、エネルギーを供給する
- 代謝を促進し、体を活動モードに切り替える
- 炎症を抑える(抗ストレス作用)
- 睡眠・覚醒リズムの調整
特に重要なのが、「起床時コルチゾール反応(CAR: Cortisol Awakening Response)」と呼ばれる現象です。
これは起床後30〜45分でコルチゾール濃度が自然に上昇する生理現象で、
朝の覚醒、集中力、気分の安定に関与していることが多くの研究で示されています。
■ ラベンダー研究の概要 ― 睡眠中に香りを呈示する革新的実験
この研究は、従来の「香りがリラックスに与える影響」を超え、
“睡眠中”に香りが内分泌系へ及ぼす影響を定量的に測定した、非常にユニークなものです。
実験の参加者
- 健康な男子大学生18名(平均年齢22歳)
- すべて喫煙・服薬習慣なしの健常者
実験条件
- ラベンダー精油(フランス産)
- ジャスミン精油(モロッコ産)
- 無臭(コントロール条件)
実験手続き
- 実験室での就寝時間:0時〜6時
- 香り呈示:5分ごとに1分間、カニューレ(鼻下)から断続的に香りを供給(合計72回)
- 測定内容:
① 唾液中コルチゾール(ELISA法)
② 心拍数(ECG測定)
③ 気分・疲労感(POMS短縮版)
就寝前・睡眠中・起床後の合計17回、唾液を採取し、コルチゾール濃度を追跡しました。
睡眠中のホルモン変動を非侵襲的に測定するという、世界的にも珍しい手法が採用されています。
■ 結果 ― 起床直後にだけ現れた「ラベンダー効果」
驚くべきことに、就寝中のラベンダー呈示によって、
起床後15分間の唾液中コルチゾール濃度が有意に上昇しました。
- ラベンダー条件:ジャスミン・無臭よりも高い(p<0.01〜0.05)
- 心拍数や睡眠リズムには大きな差なし
- 主観的疲労感(POMS-F)はラベンダー条件で最も改善
この結果は、「ラベンダーの香りが睡眠中の副交感神経を高め、
翌朝にはHPA系(視床下部-下垂体-副腎軸)を自然に活性化させる」
という二段階の生理反応を示していると考えられます。
つまり、ラベンダーは「眠りを深め、目覚めを整える」という二面性をもった香りなのです。
■ “ストレス反応”ではなく“覚醒反応”としてのコルチゾール上昇
一般に、コルチゾール上昇=ストレスと理解されがちですが、
本研究では疲労感がむしろ改善しており、ストレス反応とは異なることが明確でした。
研究チームはこの点について、次のように考察しています。
- 時間帯の違い:
CARのピーク(起床後30〜45分)より前、
起床直後〜15分の間にだけラベンダー効果が見られた。
→ 通常のCARとは異なる生理メカニズムの可能性。 - 心理的反応の違い:
ストレスによるコルチゾール増加は心理的負荷を伴うが、
本研究では疲労感が減少しており、“快適な覚醒”を示唆。 - 自律神経活動との独立性:
心拍数や副交感神経活動には大きな変化がなかったため、
コルチゾール変化は嗅覚経路や中枢神経系を介した反応の可能性。
このように、ラベンダーの香りは自律神経ではなく、
内分泌系(ホルモン)を通して“朝のスイッチ”を押すように働いたと考えられます。
■ ジャスミンとの比較 ― 香りの性質が生理を左右する
ラベンダーと対照的に、ジャスミンの香りは「活性化」「元気を出す」効果で知られています。
しかし本研究では、ジャスミン条件で就寝初期の心拍数がやや高く、
コルチゾール分泌はラベンダーより低いという結果が得られました。
これは、ジャスミンの交感神経刺激作用により、
睡眠の深さや内分泌系のリズムが乱された可能性があります。
香りの方向性が異なることで、睡眠後のホルモン反応まで変わるという点は非常に興味深い発見です。
■ 香りとホルモンをつなぐ“嗅覚−脳−内分泌”ルート
嗅覚は、五感の中で唯一、大脳辺縁系――特に扁桃体や視床下部と直接つながっています。
つまり、香りを感じた瞬間に、私たちの脳は感情・記憶・ホルモン制御に関わる中枢を直接刺激されるのです。
ラベンダーの主成分であるリナロール(linalool)や酢酸リナリル(linalyl acetate)には、
神経伝達物質GABAの働きを高める作用があり、
リラックスや抗不安効果だけでなく、自律神経とホルモン分泌のバランスにも寄与します。
就寝中にこの刺激が続くことで、
副交感神経が優位な安眠状態を維持しつつ、
夜明けとともにホルモン系を“再起動”させる――
ラベンダーは、まさに“夜と朝をつなぐ香り”といえるでしょう。
■ 実生活への応用 ― 「寝る前より、寝ている間の香り」
では、この知見をどう活かせばよいでしょうか?
1. タイマー式アロマディフューザーの活用
起床の30分前からラベンダーが弱く香るように設定することで、
朝のコルチゾール上昇を自然にサポートし、スッキリ目覚められる可能性があります。
2. 枕や寝具への微香付け
枕カバーやシーツに1〜2滴の精油を垂らし、就寝中に微量が漂うようにします。
強い香りは逆効果なので、「ほのかに香る」程度が最適です。
3. 香りのパーソナル化
好みの香りや個人の感受性によっても効果は異なるため、
「自分に合った香り環境」を見つけることが大切です。
■ 今後の研究展望 ― “眠りの質”を科学する時代へ
本研究は男子大学生に限定されていましたが、
今後は性別や年齢、ホルモン分泌リズムの違いを考慮した研究が期待されています。
また、他のストレス・睡眠関連バイオマーカー(sIgA、α-アミラーゼ、メラトニンなど)との関係を
統合的に調べることで、より精密な「香りと睡眠の科学」が進むでしょう。
将来的には、香りを使った非薬理的な睡眠・覚醒改善プログラムの開発にもつながる可能性があります。
たとえば、AIによる睡眠解析と連動して香りを制御する“スマートアロマ環境”など、
テクノロジーと香りの融合が次世代の睡眠デザインを変えていくかもしれません。
■ まとめ ― ラベンダーが導く「科学的な安らぎ」
ラベンダーの香りは、
単なる癒しの象徴ではなく、
生理学的に“休息と覚醒をつなぐスイッチ”である可能性が高まっています。
夜に嗅ぐ香りが、翌朝のエネルギーを決める。
そんな新しい睡眠の科学が、今まさに広がろうとしています。
科学的根拠に基づく香りの活用は、
「眠りの質」だけでなく、「一日の始まりの質」までも変えてくれるのです。
※本記事は、新R25に掲載された実績を持ち、トレーナー養成スクールの講師としても活動する井上裕司が監修しています。
健康・栄養・トレーニングに関する一般的な情報提供を目的としており、医療上の診断や治療を目的としたものではありません。
体調や症状に不安がある方は、必ず医師や専門の医療機関にご相談ください。
📚参考文献(引用論文)
- 大平雅子・高原円・佐藤誠也・藤川豊成・伊藤兼敏・野村収作(2014)
「就寝中のラベンダー呈示が起床後の唾液中コルチゾール分泌に及ぼす影響」
生体医工学, 52(6), 282–287. - Fukui H., Komaki R., Okui M., Toyoshima K., Kuda K. (2007).
”The effect of odor on cortisol and testosterone in healthy adults.”
Neuroendocrinology Letters, 28(4), 433–437. - Pruessner J.C. et al. (1997).
”Free cortisol levels after awakening: a reliable biological marker for adrenocortical activity.”
Life Sciences, 61(26), 2539–2549. - Field T., Diego M., Hernandez-Reif M. (2005).
”Lavender fragrance cleansing gel effects on relaxation.”
International Journal of Neuroscience, 115(2), 207–222.

コメント