こんにちは!
トレーナー育成講師の井上裕司です。
「乳酸が増える=酸素が足りていない(酸欠)」
そう思っていませんか?
確かに、激しい運動で酸素供給が追いつかないときに乳酸が増えるのは有名な話です。しかし、実は酸素が十分に足りている状態でも、乳酸濃度が急上昇するケースがあります。
その代表例が、命に関わる重症病態である「敗血症(はいけつしょう)」です。
1. 敗血症とは?
敗血症は、重い感染症によって全身に炎症が広がり、臓器がダメージを受ける状態です。このとき、患者さんは安静にしているにもかかわらず、血中の乳酸濃度が著しく上昇することがあります。
かつては「血圧が下がって酸素が届かないから乳酸が出る」と考えられていました。しかし研究の結果、酸素が足りている細胞でも、乳酸がどんどん作られていることが分かったのです。
2. 鍵を握る「Na⁺-K⁺ポンプ」の暴走
なぜ酸素があるのに乳酸が増えるのか。その鍵は、細胞の表面で働く「Na⁺-K⁺ポンプ(ナトリウム-カリウムポンプ)」にあります。
細胞は常に、内側にカリウム(K⁺)、外側にナトリウム(Na⁺)を配置して電位のバランスを保っています。敗血症のとき、体内ではアドレナリンなどの刺激により、このポンプが異常に活性化されます。
3. 「スピード重視」のエネルギー供給
このポンプを動かすには、大量のエネルギー(ATP)が必要です。
細胞が「大至急、大量のATPが欲しい!」となったとき、以下の2つの選択肢があります。
- ミトコンドリア(発電所): 酸素を使って効率よく作るが、時間がかかる。
- 解糖系(突貫工事): 効率は悪いが、酸素を待たずに猛烈なスピードで作れる。
このとき細胞は、ポンプを動かし続けるために「解糖系」のスイッチをフル回転させます。乳酸はこの「スピード重視のエネルギー生産」の際に出る産物なのです。
つまり、敗血症での乳酸増加は、酸欠による悲鳴ではなく、「細胞が必死にバランスを保とうとしてエネルギーをフル回転させている証」とも言えます。
4. 乳酸=「酸欠の証」ではない?
この仕組みは、私たちが瞬発的な運動(無酸素運動)をするときとも似ています。
電解質のバランスを保ち、神経伝達や筋収縮を維持するためには、ミトコンドリアのゆっくりした反応では間に合いません。
「無酸素運動」という言葉から、つい「酸素がないから乳酸が出る」と誤解しがちですが、実際には「酸素の有無にかかわらず、スピードが必要だから乳酸が出る」という側面があるのです。
まとめ
- 敗血症では、酸素が足りていても乳酸が増えることがある。
- その原因は、Na⁺-K⁺ポンプの活性化による爆発的なATP需要。
- 細胞はスピードを優先して「解糖系」を回すため、乳酸が産生される。
- 乳酸の増加は、必ずしも組織の「酸素不足」を意味しない。
乳酸は“苦しい運動の副産物”ではなく、「細胞が緊急事態に対応するためにフル回転した結果、生み出されたエネルギー供給の形」なのです。
※本記事は、新R25に掲載された実績を持ち、トレーナー養成スクールの講師としても活動する井上裕司が監修しています。
健康・栄養・トレーニングに関する一般的な情報提供を目的としており、医療上の診断や治療を目的としたものではありません。
体調や症状に不安がある方は、必ず医師や専門の医療機関にご相談ください。
引用・参考文献
敗血症における乳酸産生のメカニズム(特にアドレナリン作動性刺激とNa⁺-K⁺ポンプの関連)についての主要な論文です。
- James, J. H., et al. (1999). “Hyperlactatemia, augmented glycolysis, and Sepsis: Role of Na+,K+-ATPase.” World Journal of Surgery, 23(8), 784–788.
- 敗血症時の高乳酸血症がNa⁺-K⁺ポンプの活性化によるものであることを示した画期的な研究です。
- Levy, B. (2006). “Lactate and shock state: the evidence.” Intensive Care Medicine, 32(12), 1982–1985.
- ショック状態における乳酸が、組織低酸素(酸素不足)だけではない機序で生じることを解説しています。
- Marik, P. E., & Bellomo, R. (2013). “Lactate: science and dogma.” Critical Care Medicine, 41(12), 2825–2826.
- 乳酸に対する従来の「悪者・酸欠の指標」という定説(ドグマ)を再考する論考です。
- Gladden, L. B. (2004). “Lactate metabolism: a new paradigm for the third millennium.” The Journal of Physiology, 558(1), 5–30.
- 運動生理学の観点から、乳酸が酸素欠乏下以外でも産生される機序を包括的に説明しています。
- 八田秀雄 (2009). 『乳酸をどう考えるか―パフォーマンスとの関係から、再利用まで』 杏林書院.
- 日本における乳酸研究の第一人者による著書で、細胞質でのエネルギー供給の利点について詳しく述べられています。
身体が危機に対してすばやく対応するためのエネルギー戦略の一部とも言えます。

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